五線軌条

生活と芸術とか。

2021-01-01から1年間の記事一覧

極夜抄(十)

一歩、また一歩と冬が近づくたび、街は恋人たちで溢れるようになる—そんな気がする。あとひと月でクリスマスが来るのだ。 クリスマスという行事は好きだ。本邦においては宗教的文脈を骨抜きにされた催事と化しているが、それはそれで良いものだと思う。しか…

極夜抄(九)

あと10日で退職、そう思いながら職場への道を歩いている。 思えば、朝刊配達をしようと思った僕は阿呆だったのである。まず第一に修士課程を舐めていたし、第二には朝刊配達を舐めていた。ある意味では二重生活を送っているようなものだったのだが、この異な…

極夜抄(八)

怒涛の1週間だった。小旅行と演奏会と練習の後に演習発表があったのは誠にキャパシティを超えているとしか言いようがない。今まであまり後先を考えずに思った端から行動してきた結果がこれである。 どうにも私はギリギリでなんとかしてしまう術を心得てしま…

極夜抄(七)

朝六時の南方駅は想像の二倍は静かだった。阪急電車の沿線は関西屈指のハイソなエリアなのだが、三つの本線の「つけ根」に近ければ近いほど、ディープな界隈となる。南方の雑多な感じはそれをよく表している。 それ故、もっと目を覆いたくなるような状況—酔…

極夜抄(六)

人とお酒を呑むのはいつぶりだろう。感染防止策と深夜労働とで長らく飲み会というものをしていなかったのだが、昨晩は少人数かつ早い時間までという条件で、お酒の席をようやく行うことが出来た。 もともと大人数のお酒の席は苦手なので四人という人数はちょ…

極夜抄(五)

昨日は午前休なのでゆっくりと起きても問題はなかった。ただ、だからといって気分がすぐれているわけではない。むしろ軽く頭が痛む。イブA剤を2錠流し込んで自分を誤魔化した。起きれば乱雑とした私の心と同様にごちゃごちゃな六畳間だ。本や段ボールは九龍…

極夜抄(四)

一日の寝坊は単に自己管理能力の欠如が露わになったものだが、二日連続となるとこれは自分だけのせいではない、と思わざるを得ない。 即ち、今日も起きたら二限の開始を過ぎていた。頭と腹とが軽く痛いので体調不良ではある。ただ、別に普通なら休むほどの痛…

極夜抄(三)

起きたら十一時半だった。この時、私は「バイトを辞めよう」と思った。 その日は二限に講義が入っていたのだ。にもかかわらず朝刊配達から帰宅後深い眠りに落ちてしまい、この始末である。 もともと生活習慣は乱れている方だった。朝刊の配達を始めようと思…

極夜抄(二)

日曜日はラフマニノフの二番を聴きに行った。と、書いただけではピアノ協奏曲なのか交響曲なのか不明だが、今回は「どちらも」である。即ち前半にピアノ協奏曲の二番、後半に交響曲の二番を演奏するプログラムだったのである。 前者は私が失恋した時にちょう…

極夜抄(一)

金曜日のことだ。私は昼過ぎに目を覚ました。本当はもう少し早く起きるつもりだったのだ。それが、連日の新聞配達の疲労で午前中に起きられない。早いとこやめた方がいいのだろう—そう思いながら身支度をする。二十分後には三限が始まる。ぎりぎりだが、走れ…

極夜抄 序

私は子どもの頃から本を読むのが好きだった。それ故、「自分で小説を書きたい」と思うのはまあ自然なことだろう。この10年で書き始めた物語は何本もあるが、完成させたものはほんの数本だ。これは、それぞれの小説が決して誰かに読んでもらうことを意図して…

鉛色の空、それからカップ焼きそばのにおい

鉛色の空、という表現が好きだ。空を覆う雲の重たさを示すのにこれ以上に秀でた言い回しを少なくとも今の私は知らない。午後5時45分現在、研究室から見える空は鉛色である。 表現が好きだとしても鉛色の空自体が好きというわけではない。その重たさと暗さは…

秋学期が始まる

あと数日もしたら秋学期が始まる、らしい。 大学の夏休みというものは期間だけ見たらおよそ2か月とそれなりに長い。特に私の出身県は全国的に見ても夏休みが短いという凡そ何の自慢にもならない特色があったので、大学生になった時には心躍らせたものである…

前書き、のようなもの

2021年。終わりの見えない疫病の流行の最中に迎えた年も、すったもんだの挙句一応9ヶ月が過ぎた。この文章を書いている人は一介の修士課程1年の院生であり、つまり院進から半年が経過したわけである。大学時代の友人の多くは新しい環境へと旅立って行った。…