五線軌条

生活と芸術とか。

鉛色の空、それからカップ焼きそばのにおい

鉛色の空、という表現が好きだ。空を覆う雲の重たさを示すのにこれ以上に秀でた言い回しを少なくとも今の私は知らない。午後5時45分現在、研究室から見える空は鉛色である。

表現が好きだとしても鉛色の空自体が好きというわけではない。その重たさと暗さは自分の心まで陰鬱にさせる。おまけに今は秋である。秋という季節は天気も気温も快適だし、何より自分の気風に合っているので愛すべきものだとは思うのだが、それでも幾分気分が暗くなるのも事実である。あと1時間もしたら夜が来る。秋はつるべ落とし、とはよく言ったものである。

ポットの湯をこぽこぽとカップ焼きそばの容器に注ぐ。夕闇迫る研究室で独りカップ焼きそばを作る男子院生というのは客観的に見ればなかなかに悲壮感溢れる光景ではある。しかし、これでも昨日よりは心身ともにまともな生活をしているのである。

昨日、私は1日の大部分をベッドで過ごした。体調が悪かったわけではない。生活リズムが崩れ、その結果睡眠不足に陥っていたからである。

生活リズムが崩れている原因は明らかに新聞配達のアルバイトをしているからである。額面だけ見れば収入は悪くないこと以外は分の悪いアルバイトである。しかし、生活費と学費の工面のためには当面継続せざるを得ないのだ。2時前に家を出て5時過ぎに帰る。そんな生活をしているので当然まともな睡眠などとれるはずもない。計画の上では8時頃に就寝し1時頃に起き、帰宅した後は6時から8時まで仮眠をとることでなんとか人並みの睡眠時間を確保しようと思っているのだが、そんなにうまくいくはずもないのである。まず夜中に所用が入ることもままあるし、なかったとしても8時という比較的早い時間に上手く寝付くのは難しい。朝の仮眠も体内時計が邪魔をしてなかなか眠れない。結局眠たい状態で日中の研究に取り掛かることとなる。これでは能率が上がるはずもない。日中に人間らしい生活が送れたらまだマシなほうで、酷いときには昨日のように1日を無に帰してしまうことすらある。夏休みの間はそれでも何とかなったのだが、秋学期が始まってしまえばそうもいかない。学業と労働とを両立させるのはなかなか厳しい。正直、飲食なり塾講なり、もっと割の良い仕事はいくらでもあるとは思う。しかし、私は過去にこの2つのアルバイトの面接に何度か落ちており、それが若干のトラウマとなって落ちる可能性のある面接を受けることに恐怖を感じてしまっているのである。新聞配達は健康面を度外視すれば日中の生活に障らない時間に確実に労働できるのでシフトで落とされることもないし、基本的に人手不足なので選抜されることもない。さらに向き合うのは新聞受やポストであって人間ではないため面倒な人間関係とは無縁でいられる。つまり私は心身の健康と引き換えに気が楽な労働を選んだのである。

その代償がこの生活の崩壊である。ただでさえ研究の進捗が芳しくないのに、これでは私はいったい何をしに大学院に来たのか、ということになる。それなのにこんなくだらないブログの文章は書くことができる。何たる矛盾であろう。こんな気持ちでもおなかは空く。空きっ腹にカップ焼きそばはよく染み渡る。ノンフライ麺とソースのにおい。チープだがこれはこれでいいのだ。キャベツと小さすぎる肉片も、ある意味これで十分だ。明日からはまた忙しくなる。今日は論文をそこそこ精読できただけでも十分としよう。早く帰って眠ろう。バイトから戻ったら仮眠をとって、そのあとで10月の予定を立てよう。1週間の予定を立てよう。1日の予定を立てよう。そうしたらまた研究室に来よう。今日は、とにかく早く眠るのだ。