五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(九)

あと10日で退職、そう思いながら職場への道を歩いている。

思えば、朝刊配達をしようと思った僕は阿呆だったのである。まず第一に修士課程を舐めていたし、第二には朝刊配達を舐めていた。ある意味では二重生活を送っているようなものだったのだが、この異なる方向の忙しさが重なった結果破綻への道を辿るのは明らかであった。

そもそも、修士課程に軽い気持ちで来てしまったこと自体が誤りだった気もする。いや、院進自体に後悔はないのだが,修士論文提出までの期間は思っているよりも短いし、それに間に合わせるだけの実力が自分にあるとは言い難いし、何よりサボりまくっている。

先日、知人に「朝刊配達をしながら大学院に通い、かつ頻繁に演奏会を聴きに来ている」ことを謎に思われた。言われてみれば自分でも謎である。改めて考えてみると、自分は大学院生のくせに研究に割く時間が少なすぎるのだろう。これは配達のせいだけではなく、僕が危機感を欠いているからでもある。当初の予定としては、大学院の一年目は経済的余裕のための労働と単位のための講義に注力して、修論は二年次から本腰を入れようとか舐めたことを思っていたのだが、よくよく考えてみれば博士課程進学を視野に入れるとこれはあまりにも楽観的すぎる展望だった。のうのうと生きている割に、僕は結構崖っぷちなのかもしれない。ひとまず11月は体力的に限界なのでまじめに講義を受けることに力点を置こう—というかそうせざるを得ない。12月は研究テーマをきちんと設定するために文献を読み込む時間にしよう。だいぶ出遅れたがなんとかするしかない。

と、ここまで書いて12月に学内のポスター発表があることを忘れていた。ポスターの提出は12月頭だ。南無三。

 

こんなギリギリ生活のくせに昨日は名古屋にオーケストラを聴きに行っていた。いよいよまともな思考回路が働かなくなってきたかもしれない。