五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(三)

起きたら十一時半だった。この時、私は「バイトを辞めよう」と思った。

その日は二限に講義が入っていたのだ。にもかかわらず朝刊配達から帰宅後深い眠りに落ちてしまい、この始末である。

もともと生活習慣は乱れている方だった。朝刊の配達を始めようと思ったのはそれを是正する目的もあった。ところがどうだろう、朝刊は早朝どころか深夜に配達を開始するのである。これでは生活の乱れに拍車がかかるばかりである。そして、ついに寝坊した。

十一時半の私は冷静だった。まず、先生に謝罪のメールを打った。体調不良で誤魔化そうかとも思ったが、別に取り繕う必要もないので正直に「寝坊しました」と書いた。間もなく来た返信で「そういうこともあるよね」、と許してくれたのが幸いである。次に配達店に連絡を入れた。来月末で辞めたい、と。何を言われたものかわかったものではないとヒヤヒヤしていたので録音もした。申し出は思ったよりすんなり受け入れられた。思ってみれば離職率はそれなりに高いだろうから彼方も慣れっこなのかもしれない。

やることが済んでしまえば気持ちは軽くなる。あとひと月我慢すれば人間らしい時間に眠れるのだ。夜中にビールが飲めるのだ。泊まりがけの旅行だってできるのだ。もちろん修士論文執筆に向けての研究に支障が出る、というのが一番の理由ではあるが、ちょっとした日々の楽しみが回復されるのは精神を完全に保つ上で大切だろう。

誰がなんと言おうと、自分の人生だし自分の身体である。少なくとも現在の私は。心身をすり減らしてまでアルバイトができるような状況ではなかったのだ。

 

極夜抄(二)

日曜日はラフマニノフの二番を聴きに行った。と、書いただけではピアノ協奏曲なのか交響曲なのか不明だが、今回は「どちらも」である。即ち前半にピアノ協奏曲の二番、後半に交響曲の二番を演奏するプログラムだったのである。

前者は私が失恋した時にちょうど聴いていたという意味で苦い思い出がある。西日の眩しい路線バスの車内、ちょうど第三楽章がいちばん盛り上がったところを聴いていた。その日時がすらすらと思い出せるほど、私の胸の奥底にはその時の記憶が刻まれている。

後者はというと、こちらは初めて演奏したシンフォニーという意味で記憶に残っている。もう五年も前になる。大学に入り、ろくに友達もいない私にオーケストラの楽しさを教えてくれた曲であり、そして練習のたびに人と話せるようになっていった思い出の曲でもある。ラフマニノフの二番のシンフォニーは、そんな寒いけれど暖かな五年前の冬の日々のことを、いつでも私に思い起こさせるのだ。

 

正直、好みの演奏ではなかった。テンポ設定やバランス、フレーズの歌わせ方に疑問を感じる点が多かったのだ。しかしラフマニノフの旋律というのは偉大なもので、それでもある程度は感動できてしまうのである。第一楽章、幾多もの波濤を乗り越えた先で叫ぶ勇壮なファンファーレ。第二楽章、トリオに現れる夢想的な行進曲。第三楽章、美しくも翳りのあるセレナーデ。第四楽章、第三楽章までの楽句をまとめて雪崩れ込むフィナーレ。全てのフレーズが懐かしい思い出と紐付けられて、自然に溜息が漏れてしまう。好きな曲は数多くあるが、この交響曲以上に思い出深い曲にはもう巡り会えないのかもしれない。

極夜抄(一)

金曜日のことだ。私は昼過ぎに目を覚ました。本当はもう少し早く起きるつもりだったのだ。それが、連日の新聞配達の疲労で午前中に起きられない。早いとこやめた方がいいのだろう—そう思いながら身支度をする。二十分後には三限が始まる。ぎりぎりだが、走ればなんとか間に合うだろう。どうも最近の私は色々ぎりぎりで生きている。

眠たい目を擦りながらロシア演劇史の講義を受けた。私はそれなりに美術と音楽、それから文学には親しんでいるが、芝居に関してはかなり疎い。母親が市民劇団に入っていたため、縁遠いというわけでもないのだが自発的に行こうとはあまり思ったことがなかった。たまに兵庫県立芸術文化センターの公演予定を見るとそそられる題材の舞台はあるものの、なかなかいい値段なのである。故に優先順位が低くなってしまうのが辛いところだ。大学院に入って、それなりに自分の時間が取れるようになってきた。また落ち着いたら芝居を見に行くのも悪くはないだろう。

意地でも午前中に机に向かう、というのは大事なことだ。この日私はいくら文献の単語を追ってもちっとも頭に入ってこなかった。仕方がないので本を一冊持って美学棟を出る。

古来、教養人たちは、学術の場としての「庭」を大事にしてきたのだという。ペトラルカがそうであったし、ルネサンスの偉人たちもそうであった。故に私がこの庭——大学図書館と文学研究科と言語文化研究科と全学教育機構に囲まれた狭い空間—に本を携えてやってきたのは理に適っていることなのだ。

池のほとり、灌木を背にしたベンチは程よく他者からの視界を遮ることができてちょうど良い。軽く座面を拭いて腰掛ける。

ヨーゼフ・ロートの『ヨブ ある平凡な男のロマン』はロシア帝国の西の端に住むユダヤ人一家の物語である。物語は後半、障碍を持つ末子をロシアに残し、一家は渡米する。高度な資本主義社会と「自由」の中、一見すると幸福に見える生活を送る一家だが、家長のメンデル・ジンガーは次第に郷里を懐かしく思うようになる。満ち足りているはずなのに幸福ではない。貧乏だった昔の方が幸福だったのではないか——不意に私はストラヴィンスキーの《兵士の物語》を思い出すのだ。「何もかも持っているということは、何も持っていないことと同じなのではないか?」

《兵士の物語》は第一次世界大戦終戦の年1918年、『ヨブ』は束の間の平和が取り敢えず保たれていた1930年の作だ。戦乱とスペイン風邪を経験した人々が見た景色は(無論現在よりも過酷なのは承知だが)今と共通する部分もあるだろう。

読書の合間合間に池の方を見る。僅かな風に水面が揺らぎ、その上に木の葉が滑るように落ちる。短辺を下にした形の大岩はじっとそれを見守っている。美しい、と言えるような庭ではないがこの慎ましさはなかなか愛すべきものだ。刹那、水面に波紋が広がった。岩に黒い斑点がひとつ、またひとつとできていく。通り雨が来たのだ。急いで本を仕舞って研究室に帰った。

その日の晩は演奏会に出向くつもりだったので、雨が降っているとちょっと怠い。三十分も待てば止むようなので研究室で雨宿りだ。最近、途端に寒くなった。寒くても良いから雨だけは勘弁してほしいものだ——そう思いながら、研究室の窓をぴしゃりと閉め、分厚い雲を見つめていた。

極夜抄 序

私は子どもの頃から本を読むのが好きだった。それ故、「自分で小説を書きたい」と思うのはまあ自然なことだろう。この10年で書き始めた物語は何本もあるが、完成させたものはほんの数本だ。これは、それぞれの小説が決して誰かに読んでもらうことを意図しているわけではないからである。謂わば自分の意欲を満たすため、そして日々考えていることと経験したことを昇華するために行っているのだ。

ところで、私は高校時代と大学時代の数ヶ月、手記をつけていた。「日記」と呼ばないのは毎日書いていたわけでは無いからである。その手記も書かなくなって久しい。

そこで思ったのだ。自らの思考と経験とを落とし込むための小説と、毎日の記録としての手記とを「私小説」という形でここに残しておこう、と。幸い見る人もほぼいないのだから恥は捨てられる。タイトルは私の3番目の手記につけた名前——そう、私は格好をつけたがるのが好きなのだ——から取るとしよう。小説であるならば一応完成させねばならないが、それは修士課程の修了までとしよう。

それでは、一昨日のことから書くとしようか。

 

栗色の電車はワルツを踊る

4年間の大学生活は、いま思えば豊かなものだった。些細なことに一喜一憂し、小言を言いながら一般教養の講義を受け、毎日音楽に触れ、多少の青春をした。

そんな過去に囚われながら、私は電車に揺られていた。

今日、貴女と会うことになってしまったのは全くの偶然である。同じ演奏会に足を運ぶ、それだけのこと。

私が貴女への感情を自覚したのと同時に、私は失恋した。第一に貴女には既に恋人がいたと謂う理由で。第二に、貴女が誰かと付き合っていようといまいと、私に可能性などないことを悟っていたと謂う理由で。貴女とは何度かお茶をした。その度に私は胸が締め付けられると同時に妙な背徳感を覚えた。それは、aventureの安っぽい真似事に過ぎなかったのだとは思う。貴女は私の単純ながら屈折した感情に薄々気付いていたのかも知れない。恐らくはそうだろう。ただ、その時間は私にとってどんな営みよりも甘く苦く、官能的かつ耽美的で、高雅で感傷的だった。

過ぎた日々から卒業できないままの青年は、帰りの電車の座席に身を預ける。結局、きょう貴女とは二、三言葉を交わしただけであった。それでいい。全ては過ぎたことだ。

頭の中では未だに2台ピアノによる《ラ・ヴァルス》がぐるぐると巡っている。ピアノから発せられた毒々しい響きは、オーケストラによる演奏以上にこの曲を猟奇的なものに聞こえさせた。貴女はきっと、私の知らない社会で生き、私の知らない人と幸福になるのであろう。それでいい。私もそれをこそ望んでいる。

いま、電車に揺られる私はどうだろうか。次の駅で隣に座ってきた女性と恋に落ちるかも知れない。電車が制限速度を超過して脱線するかも知れない。あるいは、ふと思い立って降りたホームから飛び降りるかも知れない。いずれにせよグロテスクな未来図だ。ただ、とりあえず私にできることは、この栗色の電車に身を任せることだけなのは事実である。

鉛色の空、それからカップ焼きそばのにおい

鉛色の空、という表現が好きだ。空を覆う雲の重たさを示すのにこれ以上に秀でた言い回しを少なくとも今の私は知らない。午後5時45分現在、研究室から見える空は鉛色である。

表現が好きだとしても鉛色の空自体が好きというわけではない。その重たさと暗さは自分の心まで陰鬱にさせる。おまけに今は秋である。秋という季節は天気も気温も快適だし、何より自分の気風に合っているので愛すべきものだとは思うのだが、それでも幾分気分が暗くなるのも事実である。あと1時間もしたら夜が来る。秋はつるべ落とし、とはよく言ったものである。

ポットの湯をこぽこぽとカップ焼きそばの容器に注ぐ。夕闇迫る研究室で独りカップ焼きそばを作る男子院生というのは客観的に見ればなかなかに悲壮感溢れる光景ではある。しかし、これでも昨日よりは心身ともにまともな生活をしているのである。

昨日、私は1日の大部分をベッドで過ごした。体調が悪かったわけではない。生活リズムが崩れ、その結果睡眠不足に陥っていたからである。

生活リズムが崩れている原因は明らかに新聞配達のアルバイトをしているからである。額面だけ見れば収入は悪くないこと以外は分の悪いアルバイトである。しかし、生活費と学費の工面のためには当面継続せざるを得ないのだ。2時前に家を出て5時過ぎに帰る。そんな生活をしているので当然まともな睡眠などとれるはずもない。計画の上では8時頃に就寝し1時頃に起き、帰宅した後は6時から8時まで仮眠をとることでなんとか人並みの睡眠時間を確保しようと思っているのだが、そんなにうまくいくはずもないのである。まず夜中に所用が入ることもままあるし、なかったとしても8時という比較的早い時間に上手く寝付くのは難しい。朝の仮眠も体内時計が邪魔をしてなかなか眠れない。結局眠たい状態で日中の研究に取り掛かることとなる。これでは能率が上がるはずもない。日中に人間らしい生活が送れたらまだマシなほうで、酷いときには昨日のように1日を無に帰してしまうことすらある。夏休みの間はそれでも何とかなったのだが、秋学期が始まってしまえばそうもいかない。学業と労働とを両立させるのはなかなか厳しい。正直、飲食なり塾講なり、もっと割の良い仕事はいくらでもあるとは思う。しかし、私は過去にこの2つのアルバイトの面接に何度か落ちており、それが若干のトラウマとなって落ちる可能性のある面接を受けることに恐怖を感じてしまっているのである。新聞配達は健康面を度外視すれば日中の生活に障らない時間に確実に労働できるのでシフトで落とされることもないし、基本的に人手不足なので選抜されることもない。さらに向き合うのは新聞受やポストであって人間ではないため面倒な人間関係とは無縁でいられる。つまり私は心身の健康と引き換えに気が楽な労働を選んだのである。

その代償がこの生活の崩壊である。ただでさえ研究の進捗が芳しくないのに、これでは私はいったい何をしに大学院に来たのか、ということになる。それなのにこんなくだらないブログの文章は書くことができる。何たる矛盾であろう。こんな気持ちでもおなかは空く。空きっ腹にカップ焼きそばはよく染み渡る。ノンフライ麺とソースのにおい。チープだがこれはこれでいいのだ。キャベツと小さすぎる肉片も、ある意味これで十分だ。明日からはまた忙しくなる。今日は論文をそこそこ精読できただけでも十分としよう。早く帰って眠ろう。バイトから戻ったら仮眠をとって、そのあとで10月の予定を立てよう。1週間の予定を立てよう。1日の予定を立てよう。そうしたらまた研究室に来よう。今日は、とにかく早く眠るのだ。

秋学期が始まる

あと数日もしたら秋学期が始まる、らしい。

大学の夏休みというものは期間だけ見たらおよそ2か月とそれなりに長い。特に私の出身県は全国的に見ても夏休みが短いという凡そ何の自慢にもならない特色があったので、大学生になった時には心躍らせたものである。

しかし月並みな感想ながら、過ごしてみると2か月の休暇はすぐに終わるのである。旅行なんてできないご時世、研究と語学学習に勤しむつもりだったのだが、やろうとしていたことの2割もできていない。いま、休みの終わりを前にして、研究室に来たはいいものの何事も手につかないのはそんな現状に少々絶望しているからである。

 

読むべき論集を展き、傍らにノートを置いてボールペンを手にしたところで体と頭は止まってしまう。いったい何をしているのだろう。心身が疲弊している気もするのだが、単に自分に甘いだけな気もする。原因がわからないままただ気分だけが沈んでいくのが感じられる。

こういう時は早く帰って、おいしいものを食べて、早く寝るべきなのだろう。しかし帰るために歩くのも怠いし、おいしいものを用意するだけの気力と財力は持ち合わせていないし、睡眠は「死」の親類である気がしてどうも怖いのである。すべてに反論しなければ気が済まないのか、とでも言われそうだが事実そうなのだからしょうがない。

暫く休学をしてもろもろを整えてから出直したほうがいいのだろう、と思わなくもないが、それすら恐ろしいのである。おそらく、立ち止まることが怖いのだとは思う。私は今まで受験に失敗したりだとか、浪人したりだとか、あるいは留年したりだとかそういう経験のないまま20余年を過ごしてきた。それ故もう猶予の与えられた生活が考えられないのだ。私はなにも浪人や留年を経験した人をとやかく言いたい訳ではない。まして休学を選択した人に対しては、それを尊重したいとも思う。ただ私個人に限った話としてもうこの生き方しか知らないというだけの話なのだ。

 

何の気なしにPC内に入っている音楽を再生した。ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団シューマン:交響曲第3番「ライン」が流れた。シューマンの3番は全体としてー荘厳な第4楽章を除いてはー明るい気風に満ちた音楽だが、心が淋しい時に聴くと却って胸が締め付けられるような気がするのだ。第1楽章、Lebhaft。生き生きと、という意味だ。生(Leben)がそこにある(haften)。快活な変ホ長調、躍るようなリズム、それなのになぜ涙が出てきてしまうのだろう。そのままぼんやりと聴き続けていたら「ライン」は終わり、交響曲第4番に入ってしまった私が最も好きなシューマンのシンフォニーだ。重いA音の引き延ばし。また涙を流してしまった。今日はどうにも駄目だ。全ての具合がよくない。この交響曲の終楽章もまたLebhaftである。となればこのまま音楽を流していたら、またその滾る生命に苦しまされるのだろうか。今日はもう寝よう。睡眠が「死」の親類であるならば、起きればそれは生き返ることに等しいではないか。それに、もしかしたら私のオメデタイ頭は眠ればこの暗い心情を忘れているかもしれないではないか。

 

明日はもう少し器用に生きるつもりだ。多分。