五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄

極夜抄(二十八)

一月、修士論文を出し終えた。二月、博士課程の院試を終えた。なんとか合格した。そして三月が来た。 今日で三月も三分の一が終わったことになる。 昨晩、漠然と死にたいと思った。名古屋駅の近くの、安いビジネスホテルのベッドの上で。妙に寝苦しい夜だっ…

極夜抄(二十七)

急なノスタルジー(?)に駆られたのだろうか、先日、急に米澤穂信の古典部シリーズを読み返し始めた。 人並みに本を読むのは好きな私だが、好きな作家を訊かれると若干困ってしまう。好きな作品は存在しても、特定の作家を好きと言えるほど単一作家の作品群…

極夜抄(二十六)

日本学術振興会の電子システムにログインし、結果を確認した私は、そのままそっとブラウザを閉じた。仮にラップトップで接続していたならば、「ぱたりと閉じた」とでも記述しただろう。生憎私はスマートフォンで結果を見たので、そんな視覚的にわかりやすい…

極夜抄(二十五)

短い帰省を終え、都市生活に回帰してから二週間が経過した。今、私は大阪を離れ、東京は丸の内にいる。夜行バスの発車まで時間を潰す場所が見つからなかったため、中央郵便局の脇のベンチで時が過ぎるのを待っているのである。 日中こそ暑くなったが、夜はも…

極夜抄(二十四)

私は名阪間を西へと向かう新幹線の車内にいる。久しぶりというほどでもない帰省を終えたばかりだった。 大阪から新幹線と特急とを乗り継いでおよそ4時間。そこに広がる人口二十万余りの小都会が私の郷里だった。悪い街ではない。凡そ都市と呼ばれる空間に必…

極夜抄(二十三)

下鴨神社の古本市で買った本を積読にしないために、そのうちの一冊を読み始めた。カレル・チャペックの『北欧の旅』である。 カレル・チャペックは説明するまでもなく戦間期チェコスロヴァキアを代表する劇作家である。私自身は『R. U. R.』、『山椒魚戦争』…

極夜抄(二十二)

「下鴨神社納涼古本まつり」、と云うのが所謂下鴨の古本市の正式名称である。阪急と京阪とを乗り継いで一時間少々。午前十時、私は出町柳に降り立った。下鴨神社の最寄駅である。出町柳から下鴨神社までは高野川を跨ぐ橋を渡り、鴨川デルタを背にして北へ向…

極夜抄(二十一)

ここ数日寝坊したり、遠出したり、寝坊したりしていたため記録をつけるのを忘れていた。結局僕はいつでも「こう」だ。いい加減家を出ようと思ってから三時間経ってようやくドアを開けるようなことはやめたい。最近、あちらこちらにボロが出ている。予定をす…

極夜抄(二十)

そろそろ修論をどの辺りに「落ち着かせる」か、検討しなければなぁ—そんなことを思いながらシャワーを浴びる。先日、年度はじめに出した研究計画を見るとなんとまあ、大風呂敷を広げていることかと呆れてしまった。4ヶ月経った現在、僕はそのうちの1割も明ら…

極夜抄(十九)

マクドナルドにて、パジャマのような格好をした御老体がコンビニのおにぎりを食べていて泣きそうになった。以前、コンビニでノーマスクの中学生集団に出会した時にも同じ気持ちになったのを覚えている。私は、恐らく彼らよりも常識的な行動をしていると思う…

極夜抄(十八)

昨日は結局よく眠れず、昼頃に起き、研究室に行くこともなく過ごしてしまった。早速目標達成率ゼロである。情けないものだ。今朝はなんとか9時半頃に起き、2限をオンラインで家から受講することに決めたので、まあ昨日よりはマシだろう。あんな低レベルな目…

極夜抄(十七)

とりあえず今日—もう昨日だが—は8時に起きるのには失敗したが、午前中に洗濯をし、昼までには研究室に行き、なんとか2時には眠れそうである。昨日立てた目標を早速一部達成できなかったが、まあ少しずつ頑張れば良い。1ヶ月ほど前、狂ったようにやたらとビッ…

極夜抄(十五)

ふと目が覚めた時間が朝7時半頃だったのを見て、これは夢ではないかと疑った。こんなにも人間らしい時間に起きられるとは!むろん、7時半という時間はだいたいの人にとって少しも早い時間ではないし、その時間に起きたら遅刻するよ、という人も多いだろう。…

極夜抄(十三)

昨晩バイトで電話口の客に理不尽なことを言われて以来気分がいつにも増して良くない。所詮アルバイトなのだから気落ちせずにいきたいものだが、頭ではそう思っていても未だに胃がキリキリする。つくづく自分は難儀な性格をしていると思う。 先日、世の中を震…

極夜抄(十二)

西武新宿駅前のルノアールで朝食を摂っていたら、店内に聴き覚えのあるメロディが流れてきた。フォーレ、組曲『ドリー』の一曲目、子守唄。それがなんらかの思い出を引き出すファクターになる、なんてことはない。ただ、知っている曲が流れたので反応しただ…

極夜抄(十一)

阪急電車のアナウンスが、京都河原町への到着を告げている。阪急に自動アナウンスが導入されたのはいつだったか、また河原町駅が“京都“河原町駅に改称されたのはいつだったか、もはや思い出せない。関西に来てはや六年、実は色々なことが変わっている。べつ…

極夜抄(十)

一歩、また一歩と冬が近づくたび、街は恋人たちで溢れるようになる—そんな気がする。あとひと月でクリスマスが来るのだ。 クリスマスという行事は好きだ。本邦においては宗教的文脈を骨抜きにされた催事と化しているが、それはそれで良いものだと思う。しか…

極夜抄(九)

あと10日で退職、そう思いながら職場への道を歩いている。 思えば、朝刊配達をしようと思った僕は阿呆だったのである。まず第一に修士課程を舐めていたし、第二には朝刊配達を舐めていた。ある意味では二重生活を送っているようなものだったのだが、この異な…

極夜抄(八)

怒涛の1週間だった。小旅行と演奏会と練習の後に演習発表があったのは誠にキャパシティを超えているとしか言いようがない。今まであまり後先を考えずに思った端から行動してきた結果がこれである。 どうにも私はギリギリでなんとかしてしまう術を心得てしま…

極夜抄(七)

朝六時の南方駅は想像の二倍は静かだった。阪急電車の沿線は関西屈指のハイソなエリアなのだが、三つの本線の「つけ根」に近ければ近いほど、ディープな界隈となる。南方の雑多な感じはそれをよく表している。 それ故、もっと目を覆いたくなるような状況—酔…

極夜抄(六)

人とお酒を呑むのはいつぶりだろう。感染防止策と深夜労働とで長らく飲み会というものをしていなかったのだが、昨晩は少人数かつ早い時間までという条件で、お酒の席をようやく行うことが出来た。 もともと大人数のお酒の席は苦手なので四人という人数はちょ…

極夜抄(五)

昨日は午前休なのでゆっくりと起きても問題はなかった。ただ、だからといって気分がすぐれているわけではない。むしろ軽く頭が痛む。イブA剤を2錠流し込んで自分を誤魔化した。起きれば乱雑とした私の心と同様にごちゃごちゃな六畳間だ。本や段ボールは九龍…

極夜抄(四)

一日の寝坊は単に自己管理能力の欠如が露わになったものだが、二日連続となるとこれは自分だけのせいではない、と思わざるを得ない。 即ち、今日も起きたら二限の開始を過ぎていた。頭と腹とが軽く痛いので体調不良ではある。ただ、別に普通なら休むほどの痛…

極夜抄(三)

起きたら十一時半だった。この時、私は「バイトを辞めよう」と思った。 その日は二限に講義が入っていたのだ。にもかかわらず朝刊配達から帰宅後深い眠りに落ちてしまい、この始末である。 もともと生活習慣は乱れている方だった。朝刊の配達を始めようと思…

極夜抄(二)

日曜日はラフマニノフの二番を聴きに行った。と、書いただけではピアノ協奏曲なのか交響曲なのか不明だが、今回は「どちらも」である。即ち前半にピアノ協奏曲の二番、後半に交響曲の二番を演奏するプログラムだったのである。 前者は私が失恋した時にちょう…

極夜抄(一)

金曜日のことだ。私は昼過ぎに目を覚ました。本当はもう少し早く起きるつもりだったのだ。それが、連日の新聞配達の疲労で午前中に起きられない。早いとこやめた方がいいのだろう—そう思いながら身支度をする。二十分後には三限が始まる。ぎりぎりだが、走れ…

極夜抄 序

私は子どもの頃から本を読むのが好きだった。それ故、「自分で小説を書きたい」と思うのはまあ自然なことだろう。この10年で書き始めた物語は何本もあるが、完成させたものはほんの数本だ。これは、それぞれの小説が決して誰かに読んでもらうことを意図して…