五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(一)

金曜日のことだ。私は昼過ぎに目を覚ました。本当はもう少し早く起きるつもりだったのだ。それが、連日の新聞配達の疲労で午前中に起きられない。早いとこやめた方がいいのだろう—そう思いながら身支度をする。二十分後には三限が始まる。ぎりぎりだが、走ればなんとか間に合うだろう。どうも最近の私は色々ぎりぎりで生きている。

眠たい目を擦りながらロシア演劇史の講義を受けた。私はそれなりに美術と音楽、それから文学には親しんでいるが、芝居に関してはかなり疎い。母親が市民劇団に入っていたため、縁遠いというわけでもないのだが自発的に行こうとはあまり思ったことがなかった。たまに兵庫県立芸術文化センターの公演予定を見るとそそられる題材の舞台はあるものの、なかなかいい値段なのである。故に優先順位が低くなってしまうのが辛いところだ。大学院に入って、それなりに自分の時間が取れるようになってきた。また落ち着いたら芝居を見に行くのも悪くはないだろう。

意地でも午前中に机に向かう、というのは大事なことだ。この日私はいくら文献の単語を追ってもちっとも頭に入ってこなかった。仕方がないので本を一冊持って美学棟を出る。

古来、教養人たちは、学術の場としての「庭」を大事にしてきたのだという。ペトラルカがそうであったし、ルネサンスの偉人たちもそうであった。故に私がこの庭——大学図書館と文学研究科と言語文化研究科と全学教育機構に囲まれた狭い空間—に本を携えてやってきたのは理に適っていることなのだ。

池のほとり、灌木を背にしたベンチは程よく他者からの視界を遮ることができてちょうど良い。軽く座面を拭いて腰掛ける。

ヨーゼフ・ロートの『ヨブ ある平凡な男のロマン』はロシア帝国の西の端に住むユダヤ人一家の物語である。物語は後半、障碍を持つ末子をロシアに残し、一家は渡米する。高度な資本主義社会と「自由」の中、一見すると幸福に見える生活を送る一家だが、家長のメンデル・ジンガーは次第に郷里を懐かしく思うようになる。満ち足りているはずなのに幸福ではない。貧乏だった昔の方が幸福だったのではないか——不意に私はストラヴィンスキーの《兵士の物語》を思い出すのだ。「何もかも持っているということは、何も持っていないことと同じなのではないか?」

《兵士の物語》は第一次世界大戦終戦の年1918年、『ヨブ』は束の間の平和が取り敢えず保たれていた1930年の作だ。戦乱とスペイン風邪を経験した人々が見た景色は(無論現在よりも過酷なのは承知だが)今と共通する部分もあるだろう。

読書の合間合間に池の方を見る。僅かな風に水面が揺らぎ、その上に木の葉が滑るように落ちる。短辺を下にした形の大岩はじっとそれを見守っている。美しい、と言えるような庭ではないがこの慎ましさはなかなか愛すべきものだ。刹那、水面に波紋が広がった。岩に黒い斑点がひとつ、またひとつとできていく。通り雨が来たのだ。急いで本を仕舞って研究室に帰った。

その日の晩は演奏会に出向くつもりだったので、雨が降っているとちょっと怠い。三十分も待てば止むようなので研究室で雨宿りだ。最近、途端に寒くなった。寒くても良いから雨だけは勘弁してほしいものだ——そう思いながら、研究室の窓をぴしゃりと閉め、分厚い雲を見つめていた。