五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(二十一)

ここ数日寝坊したり、遠出したり、寝坊したりしていたため記録をつけるのを忘れていた。結局僕はいつでも「こう」だ。いい加減家を出ようと思ってから三時間経ってようやくドアを開けるようなことはやめたい。

最近、あちらこちらにボロが出ている。予定をすっぽかしてしまったり、昼過ぎまで寝てしまったり、貯金が危ういことになったり。もう全て放り出してしまいたい、数ヶ月間そう思い続けている気がする。常に何かを忘れているような感覚に襲われているのだ。そのせいで家のドアに鍵をかけたか確認するために三回くらい家に戻ったりしている。それなのに肝心な予定に対する注意力は散漫になり、結局ミスをしてしまうのだ。私という人間は、一体なんなのだろう。世に無価値な人間が存在するならば、それはすなわち私のことなのだろう。

こうして日に日に精神をすり減らすが、人と話すときには気丈で、明るく見えるように振る舞うのである。スーパーのレジでのやり取りで、電話口で、バイト先で— その行為の中で、多分知らず知らずのうちに精神をまたすり減らしている。


取り敢えずこんな生活から抜け出すために、朝起きて夜眠るようにしたい。そして私は、「生活リズムを直す方法」で検索する。これで何百回目になるのだろうか。

極夜抄(二十)

そろそろ修論をどの辺りに「落ち着かせる」か、検討しなければなぁ—そんなことを思いながらシャワーを浴びる。先日、年度はじめに出した研究計画を見るとなんとまあ、大風呂敷を広げていることかと呆れてしまった。4ヶ月経った現在、僕はそのうちの1割も明らかにできていない気がする。結局研究というのは地道なもので、最初に思い描いていた予想図を達成するのには修士課程の2年間はあまりに短すぎるのだ。増して、僕のような怠惰な人間なら尚更だ。提出まで残り5ヶ月、意外と日数だけはあるような錯覚を覚えるが、どうせすぐに過ぎてしまうのだろうとも思う。研究倫理的にまずいことは絶対行わないが、クオリティの問題で修了できないなんてことがあったら、死んでも死に切れない。

一方で仮に博士後期に進めたならば、その際に行うことは実は今以上に具体的に決まっている。学振の申請のためにそこそこ綿密な計画を立てる必要があったからだ。修論執筆の道筋が固まっていないのに博士の研究の骨子は出来ているとはなんとも皮肉というか……。これには一応、「本当にやりたい研究を博士に残しておいた」という理由がある。今まで時間と研究能力と外国語能力の問題で二の足を踏んでいたあるテーマにいよいよ取り掛かるつもりなのだ。それ故、全てがうまく行った後の博士後期課程の研究はかなり楽しみではある—尤も、修論と院試を乗り越えた後の話だ。今は目の前の研究に取り組まねばならないと思った7月末である。

極夜抄(十九)

マクドナルドにて、パジャマのような格好をした御老体がコンビニのおにぎりを食べていて泣きそうになった。以前、コンビニでノーマスクの中学生集団に出会した時にも同じ気持ちになったのを覚えている。私は、恐らく彼らよりも常識的な行動をしていると思うし、真っ当な人間として振る舞っている—と思う。それなのに、自分が彼らよりも不幸に思えてならないのだ。何故私が理不尽な思いをしなければならないのか?結局世の中は愚直な人間が損をするようにできているのか?なんと虚しいことだろう。加えて怖いのは、いつか自分が彼らの側に行ってしまうのではないか?ということである。恐らく彼らには罪の意識は無い。自分が中心の世界に生きているのだろう。その世界の住人に、私も知らず知らずのうちになってしまいはしないか、という恐怖。フードコートで新聞をブツクサ言いながら読む御老体やレジで大声で理不尽なことを言う初老男性、コンサートホールで蘊蓄を垂れる中年や阪急電車で酎ハイを飲み出す壮年男性— 私が白眼視している彼らに、気付かぬうちになってしまうのかもしれないという恐怖。それを常に抱えながら、私は生きている。正直、そうなる前にこの世を去ってしまいたい。自分がまだ自分でいられるうちに。

極夜抄(十八)

昨日は結局よく眠れず、昼頃に起き、研究室に行くこともなく過ごしてしまった。早速目標達成率ゼロである。情けないものだ。

今朝はなんとか9時半頃に起き、2限をオンラインで家から受講することに決めたので、まあ昨日よりはマシだろう。あんな低レベルな目標も達成できないとは、我ながら自分の人間としての程度の低さには呆れるものである。加えてそこそこ大事な郵便物を何処かに失くしたりしているので本当に酷い。生きていくのが苦痛で堪らない。


ただいま2限が終わった。軽く部屋を片付けたら大学に行こう。一番暑い時間だし、夕方からバイトなのでそんなに長居はできないが、家にいると何もしない怠惰な人間なのでこればかりは仕方がない。でもどうせなんらの達成感も得ないまま一日を終えるのだろう。悲しい哉。


極夜抄(十七)

とりあえず今日—もう昨日だが—は8時に起きるのには失敗したが、午前中に洗濯をし、昼までには研究室に行き、なんとか2時には眠れそうである。昨日立てた目標を早速一部達成できなかったが、まあ少しずつ頑張れば良い。1ヶ月ほど前、狂ったようにやたらとビッグマックを食べていた時期があったのだが、今思うと結構心身が堪えていたのだと思う。だんだん人間らしさを取り戻すには、このくらいの緩い目標と達成度でいい……と思うことにしよう。


7月も末、セメスターにも終わりが見えてきた。今日は前期最後のゼミだった。ということはいよいよ夏休みである。2ヶ月のうちに修士論文の骨子を固めてしまいたいものだが—怠けている未来しか予想できない。果たして本当に修了できるのだろうか?修了できたとして院試は受かるのか?というか院試の勉強は何をすれば?不安は尽きない——

極夜抄(十五)

ふと目が覚めた時間が朝7時半頃だったのを見て、これは夢ではないかと疑った。こんなにも人間らしい時間に起きられるとは!むろん、7時半という時間はだいたいの人にとって少しも早い時間ではないし、その時間に起きたら遅刻するよ、という人も多いだろう。これはいかに私の生活が歪んでいるかの証左であるし、加えてよくそれでここまでなんとか生きていたものだとも思う。ゴミを出し、洗濯をし、掃除をする。当たり前のことがこんなにも素晴らしく思える。他の人が毎日のようにしていることを行うだけで、なんだか善行をしたような気持ちにすらなる。ここ数ヶ月、自分がいかに荒んだ生活を送っていたのかを痛感する。

この後はどうしようか。マクドナルドでソーセージマフィンを食らい、図書館に延滞していた本を返し、研究室に行き— 今までの生活が酷すぎて、午前中から1日のプランが見えるだけで涙が出そうになってしまった。

気分が良いのでいくつかこれからの目標を列挙してみよう。

・毎日8時までに起きる(そのくらいでないと多分挫折する)

・朝、少しずつ掃除をする

・予定がない場合毎日10時までに研究室に行く

・できるだけ本ブログに日記をつける

・夜2時には寝る(たまに夜勤のバイトをしているのでその場合1時台はキツい)


レベルが低すぎるが、この程度が私にはお似合いなのかもしれない。


そんなわけで朝マックを嗜んでいるが、レジでオーダーをしているガキ2人がマスクをつけていなくて流石に危機感を覚えたので退出しようと思う。


極夜抄(十四)

ぼーっとしていたら図書館の本を延滞してしまい、二日のペナルティを食らった。最近何をしてもダメな気がする。

僅かなマイナスの積み重ねが、大きな損失を生み出している。それは夜勤の疲れだったり、夏の暑さだったり、洗濯と掃除の先延ばしだったりする。気づいた時には後戻りできない場所にいるものである。可能ならばこの汚すぎる部屋をユンボか何かで取り壊してほしいとすら思う。

狂ってしまった歯車を直すためにはなんらかの手段を講じなければならない。それは例えば一日かけて正しい生活リズムを取り戻すことだったり、少しずつでも部屋の掃除を始めることだったりするだろう。しかしそんな気力もないのである。思えばやらなければならないことのみならず、やりたいことさえできていない。以前ならばもっと積極的にCDを聴いたり、読書をしたり、作編曲をしたりしていたはずなのだ。かろうじて気晴らしに外出することはできているが、その他の趣味的行為は生活からすっかり抜け落ちてしまった。考えてみれば、僕の部屋はもはや居心地の良い場所ではないのである。物は散乱し、ラップトップの調子は悪く、採光も良くない。研究を進めるなら大学に行った方が良いし、本を読むなら喫茶店に行ったほうがいい。外出は、自室という現実を見ないことで精神的な安定を生み出す行為に他ならないのかもしれない。

ところが季節は夏となり、外出をすると気持ちの悪い汗が止まらない。家にいても地獄、外に出ても地獄。私に居場所はあるのだろうか。


それはそうと唐突に奈良に行きたくなってきた。長谷寺室生寺に行きたい。以上。