五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(二十)

そろそろ修論をどの辺りに「落ち着かせる」か、検討しなければなぁ—そんなことを思いながらシャワーを浴びる。先日、年度はじめに出した研究計画を見るとなんとまあ、大風呂敷を広げていることかと呆れてしまった。4ヶ月経った現在、僕はそのうちの1割も明らかにできていない気がする。結局研究というのは地道なもので、最初に思い描いていた予想図を達成するのには修士課程の2年間はあまりに短すぎるのだ。増して、僕のような怠惰な人間なら尚更だ。提出まで残り5ヶ月、意外と日数だけはあるような錯覚を覚えるが、どうせすぐに過ぎてしまうのだろうとも思う。研究倫理的にまずいことは絶対行わないが、クオリティの問題で修了できないなんてことがあったら、死んでも死に切れない。

一方で仮に博士後期に進めたならば、その際に行うことは実は今以上に具体的に決まっている。学振の申請のためにそこそこ綿密な計画を立てる必要があったからだ。修論執筆の道筋が固まっていないのに博士の研究の骨子は出来ているとはなんとも皮肉というか……。これには一応、「本当にやりたい研究を博士に残しておいた」という理由がある。今まで時間と研究能力と外国語能力の問題で二の足を踏んでいたあるテーマにいよいよ取り掛かるつもりなのだ。それ故、全てがうまく行った後の博士後期課程の研究はかなり楽しみではある—尤も、修論と院試を乗り越えた後の話だ。今は目の前の研究に取り組まねばならないと思った7月末である。