五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(二十二)

下鴨神社納涼古本まつり」、と云うのが所謂下鴨の古本市の正式名称である。阪急と京阪とを乗り継いで一時間少々。午前十時、私は出町柳に降り立った。下鴨神社の最寄駅である。

出町柳から下鴨神社までは高野川を跨ぐ橋を渡り、鴨川デルタを背にして北へ向かうだけの単純かつそれほどの距離もない行程なのだが、八月半ばの京都はそれだけでも暑かった。木々生い茂る境内に入ってもその暑さは変わることもない。”納涼”古本まつりに向かう前にすでに頭が茹だりそうである。
昨年足を運んだ際は生憎の雨で、テントの外の棚はビニールシートで覆われて見れなくなっていたり、足元が悪くてゆっくりと本を物色できなかったりと心残りがあった。それ故、今年こそは……と多少意気込みながら最初のテントに向かう。
この古書市は奥に向かって細長く伸びる敷地の各長辺にテントが並び、中央に通路が設けられている。私は向かって左の「辺」をなぞるようにスタートし、会場の最奥部に到達したら反対側の列を引き返す形で物色を行った。
昨年は気づいたら一万円近く持ち金を溶かしてしまったという反省もあり、今年は三千円程度で済ませたいな—などという甘い考えは、並ぶ本を前にするとどこかへ消えてしまう。最初の店舗で文庫本を見ていると岩波文庫の『モンテ・クリスト伯』が一巻から四巻まで並んでいた。棚の別の場所には五巻から最終巻たる七巻までがバラバラに入っている。ふと左を見ると「文庫 五冊五百円」との髪が貼られている。結局、私は七冊の文庫本(と一冊の洋書)を抱えて勘定場に向かった。これ全部揃ってんの?と店主に訊かれつつ会計をする。合計八百円也。多分この辺りで多分ブレーキは外れてしまった。いや、それ自体は格安だったのだ。ただ、その後も同じのりでホイホイ購入してしまえば、本一つ一つの値段は格安であっても、合計金額が膨らんでしまうのは火を見るより明らかな話だ。
そうしているうちに一時間が経過した。入り口から次第に奥に向かって進んでいるわけだが、まだ長辺の終わりが見えてこないことに驚かされる。何せ出店数は二〇を超す。ゆっくり見ていたら何時間も経ってしまうだろう。それにある程度目的を定めて見ていかなければ途中で力尽きてしまいそうだ。真ん中あたりの本部で売られている冷えた缶ビールの誘惑に負けそうになりつつ先に進む。
正午少し前あたりに会場の突き当たりに辿り着く。この日の京都市の最高気温は摂氏三十六度に達し、太陽のいちばん高い時間ともなれば暑さと日差しとで頭がどうにかなってしまいそうだ。正直前半で体力と集中力を持っていかれた部分は否めず、恥ずかしながら後半は棚をひとつひとつ眺めるのも疲れてきてしまった。これは購入した本の分、荷物が増えたことも原因の一つではある。途中、使用済み切手がバラ売りしているのを見つける。コレクター、というほどではないが中東欧の切手やマッチラベルは好きで多少集めているのでこれは見逃せない。喜び勇んで切手を見繕っていると、どこかで「雨だ!」という声が聞こえた。確かにわずかに水滴が肌に落ちるのを感じた気もする。急いで会計を済ませ、取り敢えず近くのテントに入る。言われなければ気付かない程度だった雨は瞬く間に大雨となり、轟音とともにテントを打ち付ける。たまたま入ったテントの中には、ビデオアートやサウンドアート関係の洋書が並んでいた。傘を家に置いてきたことを後悔しつつ、ナムジュン・パイクのモノグラフを眺めながらいつ止むとも知れない雨の音を聞いた。砂利敷の地面の上で行き場を失った雨水はやがて小さな川となり、私が雨宿りをしていたテントにも流れ込んできた。人々は狭い両岸や中洲を求めて足を動かす。まだそこの厚い靴を履いてきたことは幸いだったのかも知れない、とぼんやりと思ったりした。
四十分ほど経過しただろうか。雨は降り始めた時と同じくらい唐突に止み、再び眩しすぎるくらいの太陽が顔を出す。通路には二つの小さな川が出来上がり、それがやがて合流して一メートル程度の幅の“大河“となっていた。ちょうど鴨川デルタの子どもといった様子だ。
結局三時間ほどで会場を一周した。今回も雨に降られてしまったわけだが、そうでなくとも後半に至るにつれて疲労してしまい、ゆっくり本を見ることができなかったのが実際だ。そして気づけば一万円近くも消費しており、昨年の反省を何も生かせていない。もっと効率的な楽しみ方もあるのかも知れないが、そもそも古本市に「効率」という言葉は不似合いな気もするので、このくらいがちょうどいい—そう思うことにしよう。

ps: シャツは汗と雨とでびしょ濡れになったのに加えて、トートの持ち手のインディゴが色移りしてしまった。