五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(二十三)

下鴨神社の古本市で買った本を積読にしないために、そのうちの一冊を読み始めた。カレル・チャペックの『北欧の旅』である。

カレル・チャペックは説明するまでもなく戦間期チェコスロヴァキアを代表する劇作家である。私自身は『R. U. R.』、『山椒魚戦争』、『白い病』の三作品を読んだことがある。それらに共通するテーマ——階級社会、機械化、全体主義などに対する風刺——は重いはずなのにどこか軽妙な語り口であり、その世界に引き込まれた。それと同時に現代社会も同じ問題を抱えているのだと思わされた。……なんともベタな感想だが。

そんな彼はエッセイや旅行記も多く残しており、『北欧の旅』もその一つである。タイトルが示す通り、デンマークスウェーデンノルウェー三ヶ国を旅した思い出を綴ったものである。

読み始めた瞬間、その文章の美しさに驚いた。次に引用するのはチャペックがデンマークの国土に対して抱いた印象を描写した部分だ。

地図の上に描かれた低地のような、明るい緑の大地、緑の草原、緑の牧場、点在する 牝牛の群。白い花房をつけたライラックの暗い茂み。ミルク色の肌をした青い目の娘たち、ゆっくりと慎重な人たち。 定規を使って描いたような平野—— このどこかに、ヒンメルビィヤウ、つまり「天の山」という究極の名で呼ばれる山がある、と言う。 わたしの友人の一人が、車でその山を探し廻ったが見つからず、土地の生え抜きの人 に、どこへ行けばその山に行き着くのか、と尋ねたところ、「もう何回もそこを通ったよ」と言われたそうだ。だがその話はどうでもよい。それだけ、ここは広々と見渡せる。爪先立ちすれば海さえも見えるだろう。何としよう、ここはちっちゃな国だ、 たとえ五百の島全部を寄せ集めたとしても。まるで小さなパンの一片のようだが、その代りに、厚いバターが塗られている。そう、家畜の群、農場、はち切れそうな家畜の乳房、樹冠に埋もれる教会の塔、さわやかなそよ風の中に廻る風車の肩——。*1

デンマークの国土、すなわち平坦なユトランド半島と幾つもの島々を、そしてそこで営まれる暮らしを、こんなにも的確かつ詩的に表現した文章が他にあっただろうか?むろん原文で読んでいるわけではないので、これは翻訳した飯島周氏の力による部分もあるのかもしれない。ただ、例えばこのパンとバターの比喩の巧みさは、チャペックがチェコ語で書いた文章からそのまま維持されているものだろう。書き手の豊かな想像力と語彙。それに支えられた風景描写と言えるだろう。

 

北欧に行ったことのない私は、チャペックの豊かな文章からその風景 —デンマークの長閑な酪農地帯、可憐なコペンハーゲン市の賑わい、鬱蒼としたスウェーデンの森、複雑に入り組んだ入江に跨るストックホルム市の構造、慎ましやかなノルウェーの小村、文学的気風の漂うオスロ市の空気—を頭の中で描いてみるしかない。そうしてみた時に、どうしても引き摺られてしまうイメージがある。東山魁夷の北欧の風景画である。

数年前、京都国立近代美術館にて東山魁夷の大きな回顧展があった。その中に彼がドイツの古い街並みを描いた作品が数点展示されていた。それを見た時から、私は彼が欧州の街並みを描いた作品を気に入るようになったのだ。三年前には大山崎山荘美術館で「欧州の古き町にて」と銘打った、魁夷の展覧会が開かれた。少し燻んだような色合い、精緻な細分化の描写、レイヤーを重ねたような対象の配置。彼特有の筆致で描かれたヨーロッパの風景はどこか夢想的であり、それなのに懐かくもあった。その相反する要素は私を魅了するに十分であった。

あの時、私は、かつて交際していた恋人と共に大山崎にいた。まだ付き合う前だった。多分、私の人生の中でも幸福な瞬間の上位に位置付けられると思う。今となってはもはや客観的に眺めることしかできないその日を、私はチャペックを起点にして、魁夷を経由して思い出すに至ったのである。

夜も更けてきた。これ以上色々考える前に眠ってしまおう。『北欧の旅』の鮮やかな空色の表紙が、やけに眩しく感じた。

*1:カレル・チャペック『北欧の旅 カレル・チャペック旅行記コレクション』飯島周 訳、筑摩書房、2009年。