五線軌条

生活と芸術とか。

極夜抄(十一)

阪急電車のアナウンスが、京都河原町への到着を告げている。阪急に自動アナウンスが導入されたのはいつだったか、また河原町駅が“京都“河原町駅に改称されたのはいつだったか、もはや思い出せない。関西に来てはや六年、実は色々なことが変わっている。


べつに阪急電車だけではない。一番大きなものは人間関係だ。知人の一人に、所謂ナンパを繰り返していた人がいた。その人が同じ手段を以て遂に恋人を作ったらしい。それを知った時、ぼくは心底ゾッとした。自分とは相容れない価値観だと思った。無論、当人たちが良ければそれで良いのだ。ぼくがとやかくいうことでもない。ただ、理解はしても賛成はしないな、と思っただけだ。


良くも悪くも世の中は回っているのだ。件の彼に限ったことでもない。高校や大学の友人は、ぼくの属していた共同体から次々に抜け出し、それぞれの人生を生きている。

高校時代から、連絡の途切れたことのない唯一の友人がいる。彼は東京の大学を卒業した後、郷里の県に戻って働いている。一日おき、あるいは数日開くことはあっても連絡が続いているのは奇跡だと思う。彼に感謝したい一方で、内心面倒に思っているのではないか?という不安もよぎるのだ。経済的・社会的に親の庇護を受け、モラトリアムを延長し、時間的な余裕を背景に自由を謳歌する自分に対し、社会的責任のある一人の大人として生活する彼は何を思うのだろう。果たして、ぼくは恥ずかしくないだけの暮らしをしているのだろうか。


ぼくだけが、大学四年間と大学院二年間を合計した六年間の間に、何も変わっていないように思える。未だに地下から四条河原町の交差点に出た後、バス乗り場がどこにあるのか迷うことさえそのせいにしたくなる。

七月一日、この暑い日に京都に来たのは京都市美術館に行くためである。「京都市京セラ美術館」とは呼びたくないのは、まあ意味のない意地だ。無理やり理由をつけるならばリニューアル後にやたらと高くなった入館料にげんなりしている部分はある。また、リニューアルの際に立派な正面ファサード内部の空間が死んだ空間になってしまった点、中央ホールの螺旋階段が完全に“映えスポット“と化してしまった点も気に入らない。

初めてこの美術館に来たのは六年前、すなわち高校三年生の夏だった。志望大学のオープンキャンパスのついでにダリ展を見に来たのだ。まだリニューアル前の、いささか古い造りの回廊状の展示室に並べられたスペインの巨匠の作品を食い入るように見つめたのを覚えている。開館に一番乗りしようと正面入口で待っていたつもりが、そこは立派な裏口だったのもいい思い出だ。

数年の時を経て、同じ建物のはずの美術館はすっかり垢抜けてしまった。美術館のリニューアル自体は必須のことだったろう。べつにぼくとて過去に囚われた人間だから難癖をつけているわけでもない。ただ、自分の好みではないという、それだけの話だ。思えば、何事も斜に構えた目で見るようになってしまったのかもしれない。展覧会に来てもそうだ。今日のお目当てであるポンペイ展には、平日午前から多くの人が詰めかけていた。展示品そっちのけでキャプションの説明ばかりを見る人、音声ガイドをずっと聞いている人、その操作に手間取って展示品の前で立ち止まる人、カメラを向けるのにご執心の人— ただでさえ人が多い特別展、そんな一人一人の一挙一動に溜息をついていたら窒息してしまう。側から見たらぼくだって挙動不審な鑑賞者の一人なのかもしれないというのに。せっかく美術館に来てもこんなことを考えてしまうのは、なかなか面倒な性分というか、屈折しているというか、難儀なことだとは自分でも思う。そうしているうちに、他人にとってぼくが「しんどい」人間になっていくこともわかっている。それでもぎりぎりのところで保っている精神の安定を保つためにしんどい人間にならざるを得ないのである。


展覧会は立っているだけなのに、否、立っているだけだからこそ疲れる。今日はこの後道路を挟んだ向かいにある京近美も回ったものだからくたくたである。加えて夏本番に入った京都の、この蒸し暑さ。この先の人生がどうなるか心配するよりも、この夏の暑さで倒れないようにする術を考えた方が建設的かもしれない。